明智光秀公のご母堂、於牧の方(おまきのかた)の墓所。

明智光秀は天正三年、信長の名によって丹波八上城を包囲、波多野兄弟と戦ったが、容易に落ちないので、信長との和睦をすすめ、母於牧の方を人質として出し、兄弟を安土城の信長のもとへ送った。信長はそこで光秀との前言をひるがえし、ただちに波多野兄弟を捕らえ、磔刑にしてしまった。八上城に残った波多野の家臣は光秀の背信を怒り、於牧の方を惨殺してしまったといわれています。

悲運の最期をとげた於牧の方を偲び、里人が建立したとされています。

将軍徳川吉宗によって制定された「公事方くじかた御定書おさだめがき」の翌年、1743年に建立された石塔には、当時の世評をはばかって「南無阿弥陀如来」とだけ刻まれています。また、於牧の方にちなんで樹齢400年を超える老樹「高野こうやまき」を、神木として今もなお崇拝しています。

住所 岐阜県恵那市明智町1175-1 (明知鉄道:明智駅から徒歩22分)
駐車場 なし
駐車場に関する備考 最寄り駐車場 大正村駐車場
最寄り駅 明知鉄道「明智駅」 より徒歩で約22分
料金
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